“勉強をした”という形が残らないことが本当の勉強だ~!
今日は「“勉強をした”という形が残らないことが本当の勉強だ~!」ということについて話をしたいと思います。
今日はたけしくんがお母さんと話をしています。
たけし「ただいま~。」
母「おかえり~。」
たけし「今日学校で“おうぎ形の公式”を習ったわ。」
母「そうなんや。
おうぎ形の公式を習ったんや。」
たけし「あの公式は別に覚えんでもといいと思うわ。
図を書いたら分かるもん。
公式ってあたりまえのことが多いよな~。」
母「公式ってあたりまえのことが多いんや。
すごいやん、たけし。
そんなことに気づくなんて。」
たけし「そうやろ、すごいことに気づいてしまったわ。
“公式はあたりまえ”
今日もなかなか面白いことに気がついたな~。」
母「そうやね。
すごいことに気がついたね~。」
たけし「そういえばお母さんは俺に“宿題したん?”とか“勉強したん?”とか言わんよな~。
友達とかはいつも言われるって言ってるけど。」
母「そうやね、言わんね。」
たけし「何でなん?」
母「たけしが宿題をしたかどいうかはあんまり興味がないねん。
それよりたけしが一日を過ごして、“どんなことに気がついたか”とか“どんな発見があったか”の方が興味があるねん。
だって、宿題って学校の先生に“勉強しました”って報告するためにやってるようなもんやろ。
自分のことなんやから、“自分がどう感じたか”“自分が何に気づいたか”を大事にしといたらいいやん。
宿題って“ちゃんと勉強やりました”っていうことを先生に見せるためにやってるだけやし、なんか形だけになっちゃうもんな。
それよりたけしみたいに“公式って覚えんでも、けっこうあたりまえのことが多いな~”って気づいたことの方がよっぽど勉強してると思うわ。
ただ“勉強をした”という形には残らんから、学校の先生から見たら“全然勉強してないやろ~”って思われるかもしれんけどね。」
たけし「お母さん、なかなかやるな~。
お母さんが学生の時もそう思ってたん?」
母「全然思ってなかったよ。
毎日宿題を嫌々やってたわ。
でも今はたけしを見てたら、宿題をいっぱいやるよりも、いろんなことに気づいたり、発見する方が面白いやろな~って思うわ。
私も学生時代にそうやって勉強してたら良かったな~って思う。」
たけし「今からでも遅くないで。
今やってみたら結構いろんな発見があるかも。」
母「そうやね、やってみようかな~♪」
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