“勉強をした”という形が残らないことが本当の勉強だ~!

20110710_s

今日は「“勉強をした”という形が残らないことが本当の勉強だ~!」ということについて話をしたいと思います。

今日はたけしくんがお母さんと話をしています。

たけし「ただいま~。」

母「おかえり~。」

たけし「今日学校で“おうぎ形の公式”を習ったわ。」

母「そうなんや。
おうぎ形の公式を習ったんや。」

たけし「あの公式は別に覚えんでもといいと思うわ。
図を書いたら分かるもん。
公式ってあたりまえのことが多いよな~。」

母「公式ってあたりまえのことが多いんや。
すごいやん、たけし。
そんなことに気づくなんて。」

たけし「そうやろ、すごいことに気づいてしまったわ。
“公式はあたりまえ”
今日もなかなか面白いことに気がついたな~。」

母「そうやね。
すごいことに気がついたね~。」

たけし「そういえばお母さんは俺に“宿題したん?”とか“勉強したん?”とか言わんよな~。
友達とかはいつも言われるって言ってるけど。」

母「そうやね、言わんね。」

たけし「何でなん?」

母「たけしが宿題をしたかどいうかはあんまり興味がないねん。
それよりたけしが一日を過ごして、“どんなことに気がついたか”とか“どんな発見があったか”の方が興味があるねん。

だって、宿題って学校の先生に“勉強しました”って報告するためにやってるようなもんやろ。
自分のことなんやから、“自分がどう感じたか”“自分が何に気づいたか”を大事にしといたらいいやん。

宿題って“ちゃんと勉強やりました”っていうことを先生に見せるためにやってるだけやし、なんか形だけになっちゃうもんな。
それよりたけしみたいに“公式って覚えんでも、けっこうあたりまえのことが多いな~”って気づいたことの方がよっぽど勉強してると思うわ。
ただ“勉強をした”という形には残らんから、学校の先生から見たら“全然勉強してないやろ~”って思われるかもしれんけどね。」

たけし「お母さん、なかなかやるな~。
お母さんが学生の時もそう思ってたん?」

母「全然思ってなかったよ。
毎日宿題を嫌々やってたわ。

でも今はたけしを見てたら、宿題をいっぱいやるよりも、いろんなことに気づいたり、発見する方が面白いやろな~って思うわ。
私も学生時代にそうやって勉強してたら良かったな~って思う。」

たけし「今からでも遅くないで。
今やってみたら結構いろんな発見があるかも。」

母「そうやね、やってみようかな~♪」

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