宿題をやったら、やる気も出ないし成績が上がらない!宿題って何?
今日は「 宿題をやったら、やる気も出ないし成績が上がらない!宿題って何?」ということについて話をしたいと思います。
きょうはたかしくんが“ワクワク先生”と話をしています。
たかし「ワクワク先生。」
ワクワク先生「なんじゃ。」
たかし「いつも学校の宿題を真面目にやっているのに、成績が上がらないんです。
どうしてなんですか?」
ワクワク先生「簡単じゃ。
それはおまえが宿題をしておるからじゃ。」
たかし「宿題をしているから?」
ワクワク先生「そうじゃ。」
たかし「でも友達のゆうきくんも宿題をしているけど、いつも成績がいいですよ。」
ワクワク先生「その友達は宿題をしていないからじゃ。」
たかし「ゆうきくんも宿題をしているんですよ。」
ワクワク先生「その友達は宿題をしておらんのじゃ。」
たかし「???」
ワクワク先生「では、たかし。
一つ質問するが、おまえにとって宿題とはいったい何じゃ?」
たかし「それは学校から出された英語とか数学のワークのことなんじゃないんですか?」
ワクワク先生「ということはたかしにとって、宿題とはワークということじゃな。」
たかし「そうですね。
ワクワク先生は違うんですか?」
ワクワク先生「違うな。」
たかし「 ワクワク先生にとって、宿題っていったい何なんですか?」
ワクワク先生「ちょっと長いが、今から言うことがワシにとっての宿題じゃ。
宿題とは・・・
“やりたいから”ではなく、“やらないといけないから”という動機でやっていること。
“僕には自分で考える力がなくて、どうしたらいいか分からないんです。しかも、何をしたらいいかを考えるのがめんどくさいんです。だから先生、僕に何をしたらいいか指示を出してください。でも、先生に言われたことをやるのもめんどくさいな。でもやらないと怒られるし、やらないといけないな。学校っていうのはそういうところだもんな。あきらめてやろう。”と思って、渋々やっている状態。
自分の人生の主導権を学校に明け渡し、学校に力を与え、自分から力を奪い、死んだように生きている状態。
こんな感じかのう。
ワシにとっては、宿題はワークという物ではないんじゃ。
“やらされている”と思っている状態。
人生の主導権を他人に明け渡し、生き生きしていない状態。
何をするかではなく、“どんな状態・立ち位置でいるか”なんじゃ。」
たかし「なんか心に突き刺さりました。
僕は ワクワク先生の言う宿題をずっとやっていました。」
ワクワク先生「ほとんどの人がそうじゃ。
今、小・中学校で“自主勉強ノート”を作って、毎日1ページずつやりましょう、みたいなのをやっているらしいが、あんなのも一緒じゃ。
あんなものは名前は“自主勉強”じゃが、本当は“奴隷勉強”じゃ。
“やれされ度100%”の宿題じゃ。」
たかし「確かにそうですね。
毎日“どうやったら1ページ稼げるかな~”って考えてますもんね。
自主的じゃないですね。」
ワクワク先生「ワークや提出物が宿題とは本来決まっておらんのじゃ。
提出物を“やらされ感”でやっているものにとっては、“提出物=宿題”。
提出物を“自分が分かっているか確認したくて、ちょうど提出物の中に確認したいものがあるから、提出物を利用して復習する”という“やりたい感”でやっているものにとっては、“提出物=復習するのにちょうどいいやつ”なんじゃ。
だから、宿題かどうかは“自分がどう思っているか”“自分がどういう視点で見ているか”“どういう意識でやっているか”で決まるんじゃ。
だから、“何をやるか”より“どんな意識でやるか”をいつも忘れるんじゃないぞ。」
たかし「分かりました。
もう“宿題”という意識でやるのをやめます。
僕の人生だから、僕が自分で決めてやっていきます!」